2008-01-16

東国千年の都、前橋プラザ元気21で開幕!

古代の出土品がずらり
 
 前橋、高崎の両市から出土した貴重な文化財が一同に集う企画展「東国千年の都~古墳から寺院へ~」が9日から、前橋市の元気プラザ21の1階にぎわいホールで始まりました。この企画は、両市の連携事業の一環です。会場には、1500年前の時代を物語る、古墳や金製の耳飾り、寺院の瓦、馬具などが展示されており、まるで、古代人の息遣いが聞こえてくるようです。


 群馬県は古墳時代、「上毛国(かみつけののくに)」、「上野国(こうずけのくに)」と呼ばれ、東国一円に影響を及ぼすほどの巨大な勢力を誇る地域だったとされます。とくに、前橋、高崎はその中心として、政治、経済、交通の要衝となっていたそうです。有力な豪族たちはこれらの地に、大型の古墳や立派な寺院を造りました。こうした建造物には、渡来人のもたらした技術や文化が導入され、それは中央の畿内地方に匹敵するほど、質の高いものだったようです。

  前橋、高崎市が保有する国指定の史跡文化財は、計21か所。東日本では、鎌倉に次いで2番目に多いそうです。今回の展示では、これらの文化財のうち、前橋市総社町の山王廃寺の塑像や高崎市の保渡田古墳群から出土した埴輪など、一見の価値あり!の品々がずらりと並んでいます。山王廃寺からは、当時の都・奈良の法隆寺で見つかった遺物と似た内容のものが出てきました。また、保渡田古墳群の埴輪は通常、一片一片を張り合わせて復元するそうですが、この埴輪は、ひとつのヒビもない状態で、発見されました。どうやら榛名山の火山灰で密封されたため、原形をとどめたまま、現代まで眠っていたようです。当時の姿そのままに出現したことと日本人離れした顔つきとが評価され、2004年にパリで開かれた展覧会で“日本代表”として、海を渡ったそうです。
古代から今へ連綿とつながる遺跡や遺物。当時、最先端の文化を生み出した地で現在、生きる自分も、前橋や高崎の歴史遺産を改めて振り返り、新しい群馬を知ることができた企画展でした。

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